日本からアメリカへ 9

1999年に名門アイヴィーリーグの一角であり、全米で最古といわれる医学校があるペンシルバニア大学において私の分子病理学フェローシップが始まりました。このペンシルバニア大学の分子病理学フェローシップは今から30年も前、1995年にスタートした全米でも最古といえるプログラムでした。

まだこの時点では、分子病理学検査も分子病理学フェローシップも世間に広汎には普及しておらず、フェローシップ終了後の仕事のあてがあるか定かではありません。それでも尚且つ、移植病理学フェローシップではなく、この分子病理学フェローシップを選んだのは自分自身の興味と、10年20年先の将来性の両方が理由でした。前の記事に述べたように、すでにケースウェスタン・リザーヴ大学では大腸癌の分子遺伝学研究をしているMarkowitz研究室で分子遺伝学研究の基礎を学んでいました。例えば現在でもなお固形癌の標準検査として使われているマイクロサテライト検査はMarkowitz研究室でも盛んにやっておりましたので、すでにその基礎を学んでいました。

まずは基本的な分子病理学と分子遺伝学とそれを応用した検査の原理を理解して、実際の診断に慣れることから始めました。ペンシルバニア大学においては、1999年においてすでに様々な分子検査がありました。

https://www.nature.com/articles/s41698-023-00406-8

このフェローシップは様々な分子検査を習得・実践し、その知識によってのちに幅広い応用が可能になるという点が魅力でしたが、私の専門性が特に磨かれたのは癌の分子検査ではなく、遺伝性疾患の分子遺伝学検査でした。特に、嚢胞性線維化症(cystic fibrosis)と脊髄性筋萎縮症(spinal muscular atrophy)という欧米では罹患率が1-2番目に高い常染色体劣性遺伝疾患のSMN1とCFTRという遺伝子に対する分子遺伝検査(キャリア検査)と診断を行いました。診断報告書の作成に欠かせないのが、検査陰性時のリスクアセスメントでした。指導医のDr. Robert Wilson (1年後には私のポスドク研修の上司PIとなる)がベイズ理論を駆使したリスクアセスメントをしていました。彼も私の行く末を決定づけた重要なメンターの一人となります。彼からは様々なことを学びましたが、彼は特に教え方が非常にうまく、そのおかげで私はベイズ理論をすぐにマスターできました。そして彼と共同研究することによって、ベイズ理論を応用した遺伝性疾患のリスクアセスメント分野においては、わずか2-3年で私は全くの無名から世界的権威になることができました。この分野の我々の共著論文が2002年から2004年にかけて複数出版できました。これらの論文が私のそれからの仕事探しに役に立ったことはもちろんですが、ベイズ理論については20年の時を経て、大腸癌の多次元オミックデータ解析に役立てることができました(https://www.nature.com/articles/s41698-023-00406-8)。

ベイズ理論で有名なThomas Bayesは18世紀の偉大な数学者、統計学者で、その理論の重要性が明らかになったのは死後のことでした。死して名を遺した学者の典型例といえるかもしれません。ベイズ理論の重要性は現在においてもますます増しています。コンピューター推計アルゴリズムのほとんどがこのベイズ理論を基礎にしています。

 私自身は、回り道はもちろん、道草も多数食いましたが、研修中に学んだことがほぼ全て、何らかの面で後に、それに現在でも役に立っています。経験を生かすのも無駄にするのも全て自分次第だと感じます。

 それとともに、これからは癌の分子病理学検査が伸びるという見立てで、後ほど仕事を探すということになりますが、それはまたのちほど。次回は分子病理学フェローからポスドクになる話です。

次回に続く

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