日本からアメリカへ14

私はこれまで述べたように、幸運の連続で日米両方の競争社会を今まで何とか生き延びてきました。

フェローシップの就職活動中に、私より上位の候補者が面接日に場所を間違えて脱落し、幸運にも私に椅子が回って分子病理学フェローシップの職をとれたのも、ポスドク後の職探しで面接にもなかなか呼んでもらえず数カ月も苦戦してたところで、ハーバード大学関連病院に私の今後の研究実績とキャリアを決定づけることになる仕事が空いていたことも、ただ運が良かったとしか言いようがないのです。実はその外にも何度も何度も運がよかったことが幼少時から生徒・学生時代にも多々ありました。そのことについては「幼少時から大学まで」という新しいシリーズで述べるつもりです。

さて、教職への面接はこれが初めてではありますが、以前の記事で述べたように、これがハーバード大学関連の面接としては、1995年の当時のディーコネス病院(現べスイスラエル・ディーコネス病院)、1998年のマサチューセッツ総合病院に続いて3度目でありますし、もちろん仕事を得るために私は必死でした。

後で教えてもらいましたが、この仕事は実は正式に公募されており、公募の文面を少し変えて2回、合わせて1年も候補者を探していたとのことでした。だからあれほど急にできるだけ早く面接に来いというわけでした。なぜそんなに候補者探しに苦労したのか。それはその時にはわかりませんでしたが、仕事を始めてから後に理解できました。

 普通は、こういう教職の仕事がハーバード大学関連病院で募集されると、ハーバード大学関連病院で後期研修中やポスドク研究員の優秀な若手医師がその仕事に応募して、その中で一番いい人が採用される、ということがよくあります。この仕事の場合は、分子病理学フェローシップを終えた人、あるいは大学院生かポスドク研究員として分子病理学を修練した病理科医師を募集したわけです。しかしながら普通は、ハーバード大学関連病院でそういう経験のある若手の医師は、自分のやりたい実験を手っ取り早くやるために、どこかの基礎研究室のPI(主任研究員)をメンターにして、その研究室所属のインストラクターになって、自分のグラントをすぐに書きやすいというような仕事を探します。そうすると受け入れ研究室の候補もたくさんあり、結構すぐに受け入れ研究室は見つかります。どの研究室も優秀な人材を探していますから、ハーバード大学若手医師教職員ならだいたい来るもの拒まずです。

この仕事の募集要件は、20%の時間を病院での外科病理学診断の仕事をしながら、80%の時間は大規模前向きコホート集団(看護師健康研究と医療従事者追跡研究の2集団)に発生した千例を超える大腸癌の検体を集めて分子病理学研究を行うというものでした。雇い主のPIがすでに獲得している研究費で(それがいわばスタートアップ資金の代わりになり)研究を進めるというわけです。「指定の検体を1000例以上集める」という部分が他の候補者には魅力のある仕事に見えなかった可能性があります。普通の病理科医師や研究者にはそうかもしれません。そのおかげで候補者の確保に苦労していたというのは私にとっての幸運でした。私は面白そうだとは思いましたが、まさかのちに新分野(分子病理疫学、MPE)や新手法(前向きコホート内発生腫瘍バイオバンク手法、PCIBM)につながっていくということは夢にも思わなかったです。

ひとつ確実に言えることは、こんな内容の仕事の公募は後にも先にも見たことがありませんし、研究費がますます取りにくくなっている現状を鑑み、これからもまず考えられません。この時のこの仕事の空きがあるというのは、本当に世界史上たった1度きりだったわけです。そんな稀な機会に、それを知らずに私がたまたま仕事探しをしていて、履歴書を送りまくったところ、その公募委員会に行きついたわけです。

そして仮に私が応募せず、何カ月後かにでも私以外の病理科医師が応募して、もしこの仕事について、その後どうなったであろうかと考えます。おそらくその人は病理学・分子病理学研究の範疇をそれほど超えることはなく、疫学の専門家になるなんてこともなかったでしょう。実は病理科医師で、大腸癌患者対照研究や前向きコホート研究に関わって、分子病理学研究をした人は他にも複数いました。ただそれらの病理科医師が分子病理学者の範疇を超えることはありませんでした。それがごく普通のことです。

看護師健康研究と医療従事者追跡研究を主導している研究者にとっても、私がこの仕事に応募したことが、これらの前向きコホート研究に分子病理学、さらに分子病理疫学、そして近年にはPCIBM(前向きコホート内発生腫瘍バイオバンク手法)という新しい次元を加えることになったといえるでしょう。そう考えると本当に私とこの仕事の千載一遇の出会いだと考えられます。

 次回に続く

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