英語教育1(我々はなぜ英語ができないのか!?)

アメリカに来て一番苦労したことは英語かもしれません。

この日本人一般の英語力の問題は、日本の科学のみならず、経済、国際交流、将棋の世界普及にも陰を落とす大きな問題です。

1994年初頭、沖縄海軍病院での1年間の研修が決まり4月に沖縄に行くまで(記事)、10万円以上を使い本やテープやビデオ教材を買い込んで英語発音矯正の自主トレ猛特訓を始めました。冗談でなく口が筋肉痛になりました。

発音はどうでもいい、ブロークンでも日本語発音丸出しでも、通じればそれでいいと言う人はいつもいます。

では私はなぜ筋肉痛になるまで特訓したのか?

それは他のなまっている英語を自分が全く理解できなかったことで、これでは自分の話す英語も日本人以外にはたいへん聞き取りにくく、そのせいで能力が劣っていると評価されたくなかったからです。それまでの私は日本語アクセント丸出しでしたが、3週間くらいの猛特訓によって、わりとましな英語発音になりました。

ところで、私の知人でアメリカに30年住んでいる人がいますが、30年間仕事で毎日のように英語をしゃべっているのに、今も完全に日本語アクセントそのままです。

私の特訓前を考えても、私の研究室に来た多くの日本人を見ても、英語発音は練習せずにうまくなることはないと考えます。逆にきちんと特訓さえすれば、たいていうまくなると思います。そしてそれは語学の才能・センスの向上に繋がると考えます。

この時の経験から、語学を学ぶにおいては音をまず大切にするのが肝要ということを実感しました。言語の基本はまず音です。

どの国でも赤ん坊はまず音のシャワーを浴びて言語を身につけていきます。文字はその音を書き留めるために後に発明されたものです。しかし、日本人の語学教育は文字偏重だったせいで、これが日本人の英語下手の理由の一つになっています。

私は沖縄海軍病院で1年間のインターンの後、1995年より米国で病理科の研修を始めました。特にピッツバーグ・クリーブランド・フィラデルフィアと武者修行をした1995年7月から2001年までの6年間は、まわりに日本人が少なかったせいで、朝目が覚めてから寝るまでほんとに英語のみの生活を送っていました。おかげで英会話と読み書きは仕事と生活をしながら段々と上達したように思います。

しかし、未だに研究費の申請書などでアメリカ人や英語が母国語の人たちと比べてのディスアドバンテージを感じています。これは何十年米国で仕事をしても、どうあがいても存在する不利さです。

毎日毎日、膨大な量の英語を読み書きしないといけないので、その読み書きの量を制限するために、ジャーナル・学術誌のエディター(編集者)などの引き受ける必要のない仕事は、依頼があっても極力引き受けないようにしています。

同様のディスアドバンテージを抱えているはずの東アジア出身の人たちは、多くが流暢な英語を話し、日本人ほど苦労はしていないように見受けられます。初期の記事でも触れましたが、ここ十年ほどでハーバードに留学してくる日本人研究者が激減した代わりに、他の東アジアの国の研究者は右肩上がりに増加している実感があります。

彼らは言語のハンディキャプが日本人ほどではなく、なかでも優秀な人達はどんどんとファカルティ(教員)のポジションを獲得しています。仕事を獲得するには、よほど優れた業績がない限りは読む・書く・話すの英語力がアメリカ人と同等レベルでないと難しいでしょう。なまりは相手が理解できるレベルであれば大丈夫ですが、きれいな発音であることに越したことはありません。

これと比較すると日本人は平均して臨機応変のコミュニケーション能力が弱いように感じます。日本人は学業面ではとても優秀で研究に対しても真面目なのに、英語力が足りないせいで多くの機会を逃していると思います。これでは米国の大学の日本人のファカルティが、たとえば中国人や韓国人と比較して、どこの大学でも圧倒的に少ないのはうなずける話です。

もっと広く言えば、語学力の問題で日本は国家としてたいへん損をしています。日本政府のトップ・リーダーで通訳なしで何ヵ国語も自由に操れる人がいるでしょうか?

私が日本語ブログを始めたのも、今まで英語で書いていたフェースブックでのメッセージなども日本にいる日本人はほとんど読んで反応して頂けないからでした。そういう私も、英語のニュースよりは日本語で書かれたヤフーニュースにまず目がいきます。今現在、純粋な日本人とコミュニケーションを図るには日本語以外では無理があるのです。

なぜ、中学・高校・大学と(今は小学生からと聞きましたが)真面目に一生懸命、何年も勉強してきて、英語で会話することすらままならない人が人口の過半数(大多数)を占めているのでしょうか。

我々はなぜこんなにも英語ができないのでしょう!?

これに関する私の考えはまた次回以降に書きます。

コメントを残す