日本の教育4

今年の初めに記事を更新してからしばらく経ってしまいました(前の記事はこちらです)。これまでに日本の教育の問題点について私なりの考え方を述べて来ましたが、今回は大学院などの専門教育についての考えを述べたいと思います。

まず、大学院というより学部レベルからの話になるのですが、そもそも学問を文系理系と分類するのをやめるべきだと思います。一例をあげると、日本では文系に分類される経済学ですが、その実は高度な数学の専門知識を要する学問です。もちろん、文系の学生のなかにも数学が良くできる人もいるでしょうが、一般的には数学の苦手な学生が多いので、専門を深めるのに大変高いハードルを超えなければなりません。日本が科学分野と比べて経済学分野でノーベル賞受賞者が少ないのはこのことと無関係ではないと思います。心理学も同様に、本来は統計学などの数学的な専門知識を駆使してデータ分析などを行ってもなお、科学的な信頼性を担保するのが最も難しい分野であるのにも関わらず、日本では文系の学問とされています。逆もまた然りで、理数系の学問を世界に発表するためには英語での論理的な文章力が必要であり、そのためには英語力は当然ながら、母国語である日本語で論理的に考える力、国語力が必要となるのです。文系理系というのは一体何に基づいた分類なのでしょうか?

また、日本では学部に入学するときから文系理系より更に細かい専門の学部学科まで決めて出願するケースが多く、後の変更が難しくなってしまっています。若いうちからやりたいことがはっきりしている人には早くからそれを深めていただければ良いのですが、10代後半でやりたいことがはっきりしていない人も大勢いると思います。学生が様々な経験を積んで自分の本当にやりたいことを見極めることができるように、専門分野の決定と変更にもう少し柔軟性を持たせても良いと思います。

また、そもそも日本では、大学から社会に出たときに専門性があまり評価されていないきらいがあります。我々のような医師などの特殊な専門を除くと、どちらかと言えば企業はゼネラリストを求めているので、専門分野があり大学院を出ていても、専門性が給与や昇進に無関係という場合も多いでしょう。特に博士号を取った後の進路の選択肢が狭すぎるために、多くの有望な若者の熱意と能力を生かせない社会になってしまっており、博士号を忌避する流れが出来てしまっています。この問題の根底には、目的のない博士号の量産も関わっています。その結果としてアカデミアのポストをめぐる競争か激化し、かえって将来性のある有望な若者が進路変更せざるを得ないという負の連鎖を招いています。これからの時代の進歩には、軍隊式の均一で良質な大量生産より、高度な専門性を応用してイノベーションを起こしていくこと不可欠であるのに、この問題は長らく放置されているように思え、重大な国益の損失を招いています。

これと関連することで、学び直しの意義についても再考していただきたいところです。以前の記事で述べたことの繰り返しになりますが、日本では一度社会のレールを外れると元のコースに戻れないシステムになっており、また専門性に対する社会の評価が低いので、ある程度実務経験を積んでから必要性を感じて大学院などに戻って専門性を深めたいと考えても、学び直しによるキャリアアップが難しくなっています。私の個人的な経験から言っても、新たな専門分野の開拓はキャリアを飛躍的に発展させるチャンスになります。私も今の勤務先に就職してから働きながら公衆衛生学の修士号を取得したことで新たな分野である分子病理疫学を発展させる専門知識を得ることができました。

まとめると、日本はもっと個人の専門性を活かすことができる柔軟な社会構造にしていかなければ、いくら大学院等で専門家を養成してもそれを社会に還元しきれないということです。本題とは少し外れますが、ここでいう柔軟性とは、人材を簡単に首にできることではないということです。雇用の安定は社会の安定につながりますし、過度な能力主義は日本の土壌に合わないと思います。あくまで、個人が希望すれば専門性を生かしてキャリアアップできるようにすることが望ましいと思います。

また、ここで、既存の専門性に囚われない分野横断的な専門性の価値について述べておきたいと思います。私の例を挙げると、病理学という元々の専門性に、公衆衛生学を融合させて分子病理疫学という新たな分野の先駆者となることができました。Interdiciprinary(和訳すると学際領域)という概念は、随分前からアメリカではキーワードになっています。かといって、アメリカでも分野の壁がないかといえばそうではありません。アメリカですら、私のような既存の専門領域を凌駕するような研究者は少し変わっていると思われているでしょう。しかしながら、分野の垣根を超えて既存の価値を壊して新しい概念を提唱することは、学問や産業の進歩に大きく寄与します。こうした自由な選択が可能となる社会になることを望んでいます。

最後にこれは余談ですが、今年から始まった急激な円安によって、もともと諸外国に比べて安い日本の物価が更に安くなってしまい、今や日本文化のバーゲンセール状態となってしまっています。今年、久しぶりに日本に帰国すると、すばらしいクオリティの商品やサービスがありえない価格で提供されていることが、悲しく思えてしまいました。多くの素晴らしい食事やサービスが安すぎ、2倍あるいは3倍の値段がついていても当然ではないかと思いました。このままでいいのでしょうか。私は経済の専門家ではないので、詳しいことはわかりませんが、これは日本の給料や物価が上昇しないことが原因のようです。なぜそうなってしまっているかという根本的な原因の一つに古い価値観に縛られた社会の停滞があると思います。この状況を打開するには、今の現役世代の作り上げた社会を変化させることが望まれることは誰もが感じているとは思いますが、やはり難しいからこそ、この数十年の停滞を招いていると思われます。そのためには若い世代の教育から日本の社会を変えていくことが大切と思います。少し話が大きくなってしまったのですが、今年の日本旅行で衝撃を受けたのでこれも付け加えました。

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