日本からアメリカへ4

前回の更新から1年以上経ってしまったので、新しくこのブログを読んでくださっている方は、過去記事の日本からアメリカへ123を読んでみてください。前回は、私が米国医師国家試験(USMLE)ステップ1及び2に合格した後、アメリカ各地の面接の旅を経てピッツバーグのアリゲニー総合病院とマッチするまでの話でした。

1995年の6月25日にピッツバーグに降り立ち、7月1日より4年間の病理学研修を開始しました。私がレジデント(研修医)として研修を行うアリゲニー総合病院は一応大学附属病院であったものの、実質的には市中病院であり、症例数が多くとても忙しい病院でした。私の研修は、ただひたすら検体を切って標本を作り、顕微鏡で組織を調べて病理診断を自分なりに出し、指導病理医との最終診断に立ち会って診断方法を学ぶことでした。

医学部卒業後、東京大学病院でも同様に病理学研修を1年行いましたが、日米で業務の処理の仕方は全く異なりました。日本では、標本を調べる際に癌細胞の広がりなど、細部まで丁寧に時間をかけて診断を下していくので、1つの検体にかかる時間が長く、結果的に業務効率はよくありません。一方アメリカでは、検体の処理速度が日本に比べて格段に速いことに驚きました。病理標本の診断の際は絶対落としてはいけない大事なところ、例えば組織タイプや癌ステージなどの重要な情報はもれなく把握する一方で、必須ではない情報は省くので効率がよく、その結果、短時間で大量の検体を処理することが可能でした。アメリカ方式の短時間で効率よく行う業務方法にはすぐに慣れました。アメリカでもレジデントは忙しいのですが、効率が良いお陰でみな5-6時くらいには仕事を終えることができていました。仕事と病理学の勉強と並行して、米国医師国家試験(USMLE)の最終段階であるステップ3の勉強もしなければならなかったため、とても忙しい日々でホームシックを感じる間もありませんでした。

そして、渡米した当初は思いもよらなかったのですが、このアリゲニー総合病院で、私のアメリカ生活において最初の重要なメンターとの出会いがありました。

ある日、脳腫瘍の術中迅速診断(手術中迅速に行う凍結切片を使う病理診断)の業務をしていたところ、執刀医がDr. Fukushimaという名前であることに気がつきました。そして染色した組織切片を私の指導医と見ていたときに、そのDr. Fukushimaが部屋に入ってきました。通常、外科医は術中迅速診断をわざわざ見に来ることはなかったので驚きました。Dr. Fukushimaも私が日本人であることはすぐにわかったようで、日本人が病理科レジデントとして働いていることに驚かれたようでした。そこで少し話をしました。それが神の手を持つ脳外科医として世界中で有名な、福島孝徳先生との初めての出会いでした。福島先生はよく術中迅速病理を見にいらしたので、それからよくお話させていただくようになり、ピッツバーグの北部の近郊にある家にも招待していただきました。福島先生のもとに留学してきていた日本人とも知り合いになり、中でも脳外科医の久保重喜先生とは共同研究も行い、福島先生も共著者として参加していただき、私は第2著者として最初期の論文を出すこともできました。

福島先生は若い私が初めて出会った、アメリカで現在進行形で活躍していた日本人医師でした。思えば、これも私の持つ強運の一つだったとしか言いようがありません。日本人を見かけることも少なかったアリゲニー総合病院で、こんな大先生と出会うことができるとは夢にも思ってもいませんでした。福島先生も日本の医学界に疑問を抱いて渡米したということで、自分のそれからのアメリカでの研修生活へ大きな勇気を頂くことができました。私はその後も何人かの重要なメンターに出会うことになりましたが、福島先生との出会いから頂いた勇気が私の大きな精神的な支柱となりました。福島先生がその後の私のアメリカ生活に与えた影響はとても大きかったといってもいいでしょう。

以前もどこかに書いたと思いますが、若い頃に良いメンターに出会うことはとても大切です。こうして違う世界に思い切って飛び込むことで、経験したことのない難問や壁にも出会いますが、また思わぬ機会も開けてゆくものです。皆様も閉じられた社会から飛び出してみてはいかがでしょうか。

しかしながら、私の勤務していたアリゲニー総合病院は当時、名門アイヴィーリーグのペンシルバニア大学とは似て非なるペンシルバニア医科大学の付属病院(しかも大学本部はペンシルバニア州の真逆の東端のフィラデルフィアにある)で、私の目指す高度にアカデミックな雰囲気とは全く異なるものでした。アカデミックな医学研究をやりたかった私は、次第に病院の仕事に物足りなさを感じるようになりました。

そんな状況で迎えた1996年の初春、米国医師国家試験(USMLE)の最終段階であるステップ3の試験の時期がやってきました。ステップ3は、3時間15分で195問(つまり1問1分)に回答するブロックを朝昼1ブロックずつ2日、合計4ブロックこなさなければならない過酷な試験です。問題文の症例(もちろん全部英語)が長いこと長いこと。アメリカ人ですら速読に苦労している問題文を読みこなさなければなりません。正直言って、私がこれまでに受けた試験で、本番のみでいえば一番きつかったのが思い出されます。はっきり言って、東大の入試よりももっときつかった。2日目の最後の方では胃が痛くなり、終わったあとも空腹なのに食欲もありませんでした。これを書いている今も、当時の状況が思い出されます。しかし、終わったあとのとてつもない開放感は忘れることができません。今でも鮮明に覚えています。

そして渡米から1年経ったころ、3、4年目の研修を別の大学病院でやろうと思い立ち、研修中途募集をしている施設を探し始めました。その話は次回にします。

次回へ続く)

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