日本からアメリカへ 11

ポスドク研究員時代の私の主な仕事は、マイクロサテライト不安定性の原因遺伝子の一つに機能欠損がある場合、他のどの単一遺伝子の機能が細胞の生存に必須であるかを実験モデルである酵母を使って探索することでした。こういった、1つの遺伝子のみの欠損では細胞は生存できるが2つの遺伝子の機能欠損があると細胞が生存できない現象をSynthetic Lethality(無理やり訳すなら合成致死性)といいます。その実験をするために遺伝子組み換え技術やその他の分子生物学の実験方法と手技を学びました。それは自分の研究室をもった時に大いに役に立つ経験でした。のちにはネズミを使った幹細胞研究にも少しだけ足をつっこみました。その経験は、自分の研究室を持ったときには動物実験はしたくないという動機付けになりました。要はIn vitroもIn vivoも両方の実験を経験できたということになります。

以前の記事に述べたようにマイクロサテライト検査はケースウェスタンリザーヴ大学で経験したことがありましたが、ポスドク時代の研究テーマと重なったのは、全くの偶然でした。プロジェクトを考えて研究室を決めたというよりは、Dr. Wilsonが分子病理学フェローシップでの重要な指導医であり、さらに1人ポスドクを受け入れる資金の余裕があったという理由でした。他の研究室もいくつか見学しましたが、まったく迷うことなくWilson研究室を選びました。

Wilson研究室はこじんまりとした研究室で、PIと私の他にポスドク研究員1名と研究技師1名のみでした。小さい研究室にはそれなりのメリットもあって、なによりPIと私の距離間がすごく近いというのがよかったです。いつでもDr. Wilsonの部屋に行って実験の方法や結果について、気が済むまで議論することができました。また、キャリアプランの相談などもいつでもやってくれました。彼は基本的に何かを押し付けるようなことはなく、各々の研究員の持つ技量とポテンシャルを生かすという方針がありました。ポスドク後の仕事についても真剣に相談に乗ってくれましたし、私をできるだけ留め置いて研究室の成果を挙げようということもなかったです。各々の研究室員の意思やキャリアを尊重するという姿勢は、ポスドク時代に私が学んだ重要なことの一つです。

彼はおそらく、私のポテンシャルをすでに見抜いており、私が独立して業績を挙げれば挙げるほど、彼自身のメリットにもなると分かっていました。事実、アメリカでは、自分の元メンティーが他の名門大学などで准教授や教授になるとかは自分の昇進や栄転の一つの条件にもなります。私自身の昇進にもそういったことが考慮されてきました。それと自分の元メンティーは、将来にわたって自分の味方にもなります。できるだけ味方を増やしておくのは当然のことです。

一方で、例えば研究者のキャリアにおける研究費申請の大事さなどはそれほど教示を受けてはこなかったです。これがのちに私のキャリアにおいて良い側面と良いとは言えない側面の両方につながってきます。

そのころは今とは違い、NIHの予算が右肩上がりで上昇していた時代であり、今と比較して研究費を取るのがかなり容易であったという側面は否定できません。ちゃんと研究をやって結果を出していれば研究費がとれてさらに研究ができるというごく当たり前の時代といいますか。今はもうそういう時代ではなくなってしまいましたが。

どんなメンターであれ、完ぺきな人はいないし、完ぺきなメンターもいません。メンターも私と同じ人間ですから、正解もすれば、間違いもする。メンターから良い面、悪い面両方を学べれば十分ではないでしょうか。

すでにDr. Wilsonとは分子病理学フェローの時から一緒に仕事をしてきましたし、その時からベイズ推定の方法を発展させるという仕事(いわば成果が出るのがわかりきっている仕事)も、基礎的な合成致死性の仕事に並行して行っていました。これも実はDr. Wilsonから学んだことの一つです。ハイリスクハイリターンな仕事と並行して、必ず結果がでる着実な仕事を同時並行するという、研究における危機管理の方法です。特にポスドク研究員の間は運にも左右され、ハイリスクハイリターンの仕事のみだと、多大な成果が出ることもあれば、それが空振りに終わる危険もあります。必ず結果がでる仕事をしていれば、少なくとも何か目に見える成果を得ることができ、次のステップにつながります。私の場合、このポスドク期のハイリスクハイリターンの仕事は実を結ばなかったです。私の知る限り、その後に別のポスドクによっても実を結ぶこともなかったようでし、別の研究室で実を結ぶこともなかったように見えます。どうやらそのアイデアは絵にかいた餅だったようです。というわけで、結果が確実に出る仕事をやっておいてよかったということを確信しています。この経験から、すごく素晴らしく思えるアイディアも、上手くいくかはわからないという、至極当たり前のことを学びました。ただ分子生物学の手法を数々使って自分の技量にできたというだけで、後に独立して自分の研究室を運営する際に役に立ちました。

自分の人生を運のみにゆだねるのではなく、運やツキを生かしつつ、どういう結果が出てもいいように行動していくというのが大事ではないでしょうか。

次回に続く

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