中国大返しの決行!!1

今日は趣味の話をしたいと思います。

私は自転車・テニス・クラシック音楽・将棋・歴史など多趣味です。

自転車は40代になって通勤手段として取り入れ、真冬も真夏も少々の雨でも雪でも毎日片道25分の道のりをせっせと自転車を漕いで通勤しています。私の常々の口癖、「人と同じことをするな」という精神のもと年々悪化するボストンの通勤ラッシュを回避でき、体力増強にもなり正に一石二鳥。今では通勤だけでなく休日の気分転換に乗るほどなくてはならない趣味となっています。

また、私は大の歴史ファンで戦国・安土桃山時代が大好きです。その理由は至極単純で、生まれ持っての身分より実力がものをいう時代だからです。少し話が逸れてしまいますが、今の日本の社会システムは良くも悪くも徳川幕府が築いた江戸時代の身分制度の名残のあるもので、個人的にはまた戦国時代のような実力主義の社会に戻って欲しいと思っています。

数ある戦国武将の中でも特に好きなのが黒田官兵衛孝高と豊臣秀吉。私の出身地の明石のある播磨地方でも両者は名将知将として絶大な人気があります。特に(黒田氏は近江から来たと言われていますが)官兵衛は播磨生まれ播磨育ちで、私と同じ播磨弁をしゃべっていたはずです。私は2000年代から官兵衛主役のNHK 大河ドラマがいつか放映されると予言していました。

この2人にとって最も重要な出来事といえば中国大返しといっていいでしょう。秀吉にとって、いや日本の歴史にとっての大英断と言える中国大返しによる勇猛果敢な判断力には魂を揺さぶられるほどのロマンがあります。

ご存知のない方に簡単に説明すると、中国大返しとは、本能寺の変の知らせを受けた時に現岡山県の備中高松城攻めの指揮を取っていた豊臣秀吉がすぐさま毛利方と和睦し、わずか数日で山陽道を踏破して京都近くの大山崎まで到達し、山崎の戦いで明智軍を破ることで後の天下取りの布石となった大行軍のことです。その中でも特に岡山から姫路までの経路は山道が多く、想像するだけでも大変そうです。故郷の明石市にも山陽道の旧街道が通っており、ここを秀吉が軍を従えて通ったのかと想像するだけでワクワクしてしまいます。

前置きが長くなりましたが、以前から、機会があれば中国大返しを自分でやってみたい!と虎視眈々と機会を伺っていました。そして2018年の年末に仕事を兼ねた帰国をすることができたので、晴れて趣味の自転車での中国大返しを決行することになりました。(次回へ続く)

(写真はWikimedia Commonsより)

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