統計学は科学・経済・社会を統べる!5

前回は、メタ解析論文の多くが科学的信頼性の低い論文を区別することなく解析を行っているケースが多いことについて述べました。その結果、多数の論文の解析によってより信頼性が高くなるはずのメタ解析の多くが、科学的信頼性がほとんどないものになってしまっている現状があります。

さて、これはメタ解析に限らない話ですが、世の中に溢れている怪しい研究成果を、科学のことはほとんどわからない一般の方々に科学的真実だと伝えてしまった場合、何が起こるでしょう?全く嘘の情報が世の中に伝播されてしまい、結果的に人々の命に関わるような重大な影響を起こしかねません。あくまで例として架空の話ですが、もし今話題の新型コロナウイルスのワクチンに関するデータが、ネガティブな情報を隠すように解析されていたらどうでしょうか?科学的信頼性が低い論文を一つでも発表すること自体、社会に悪影響をもたらしてしまいます。さらには一つの論文が人の命に関わるような悲劇を招いてしまう可能性すらあるのです。そういう意味で、論文の著者の責任は重大です。

図を差し替えたり、グラフの数値を変えるようないわゆる論文の捏造が論外なのはもちろんのこと、統計解析を恣意的に見たい方の結果に近づけるということも、誤った情報を世の中に伝搬するという意味では、捏造と全く同じ影響をもたらします。しかしながら、論文の統計解析の質というのは、かなり細かいところまでデータを読み込まないと分かりません。これには統計解析に関する専門知識を要しますが、前の記事でも述べたとおり、現実問題として科学者ですら統計解析の専門的な知識を持ち合わせていないことが多いのです。本来ならば、怪しい研究成果は論文発表の前の査読の段階で精査されて然るべきなのですが、残念ながら科学誌の多くがこうした信頼度の低い研究成果の掲載を許してしまっています。やはり、科学者の側が統計解析に関して知識を持つことが当然になるべきですし、科学誌の側も厳しく審査をするべきです。

先程の一般の人に対する情報提供について言えば、当然ながら一般の人にそこまでの判断力を求めることはできません。やはり、変わるべきは科学者の側です。また、この件は統計解析と直接関係はないのですが、前から気になっていたのでついでに書かせてもらいますと、科学に関する話題を扱うマスコミにも責任の一端はあると思います。マスコミの特徴として、見栄えのいい成果を大々的に発表して伝え、アクセスや売上を伸ばそうとする傾向があります。当然ですが、その際に論文の質など考慮されているはずもありません。怪しい論文が多いのはそもそも科学界の責任なのですが、誤った情報をマスコミが拡散させてしまっている側面をぜひ認識していただきたいと思います。例えば、「〇〇を食べれば健康になる!」といった情報が典型的です。また、有識者・専門家と称する、実は全くデタラメなコメンテーターの意見をさも科学的な意見として扱うことも大問題です。

それではなぜ、大量の怪しい科学的成果が発表されてしまうのでしょうか。ここで科学業界にずっと存在しているもう一つの問題が浮き彫りになってきます。我々が論文発表を行う際に、より影響度の高い学術雑誌への発表を行いたいと思うのは常です。その場合、質の高い研究を行うことはもちろんのこと、ときにそれ以上に、「〇〇という物質が▲の病気の発生に関わっている」といった、見栄えのいい成果が求められます。逆に、「〇〇という物質は▲という病気に関わらない」という結果は、あまり魅力がありません。しかし、そういったインパクト至上主義が科学的に偏った論文を量産させてしまっていることをもっと認識するべきです。実は中立的な研究成果もとても大切なエビデンスなのです。というよりも、もし何かを解析して何も出てこなかった場合でも、それを正直に発表するという態度がとても大切だと思います。

まとめると、科学を語った怪しい研究成果は世の中に溢れています。偽物を見極める力を持つということが必要となってきますが、それを一般の人に求めるのは難しいでしょう。やはり、変わるべきなのはまず科学界、それからマスコミでしょう。この状況が改善することを切に望みます。

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